静寂に包まれた空間で千葉氏の栄光に思いを馳せてみた・ちょっとだけ歴史探訪【一人時間を楽しむ・ちょっとやってみる編】
セカンドライフが始まりあちこち出かけるようになると大切に受け継がれてきた歴史スポットや過去の偉人に出会う機会が増えました。どちらかというと今まで歴史に興味がありませんでしたが、年齢を重ねた所為でしょうか?徐々にその歴史上の人物の生き様に興味を惹かれるようになりました。そこで今回先ず「千葉市の礎を築いた千葉氏についてちょっと知ってみたいな」という思いになり、千葉城と千葉氏に関係のある千葉神社に行ってみることにしました。当日は桜風景から草木の新緑が美しい季節に表情を変えた空間が静かに迎え入れてくれ、ゆっくり歴史の舞台に思いを馳せることができました。よろしかったらご覧ください。
目次
千葉城
千葉城に向けて出発!
千葉都市モノレールで県庁前駅に到着です。
千葉城のある亥鼻公園に向かってゆっくり歩いて行きます。
真言宗豊山派智光院と浄土宗胤重寺の間にある道を通り抜けて階段を登ります。
階段を登りきると、桜風景から草木の新緑が美しい季節に表情が変わった亥鼻公園の風景が目に入ってきました。※この亥鼻公園では「千葉城さくら祭り」が春の恒例行事として開催され、約90本のソメイヨシノが見事な姿を魅せてくれます。
左には茶室の「いのはな亭」があります。
千葉城に到着!
千葉城に到着しました!
実際ここにこのような天守閣は存在しなかったようです。この美しい現在の城は小田原城を参考に昭和42年に建てられた模擬天守とのことです。4層5階の鉄筋コンクリート造りで高さ約30mです。
城の前には弓を引いている力強い千葉常胤の騎馬像がありました。勿来関跡にあった源義家(源頼朝の高祖父)の騎馬像も弓矢を持っており威厳を感じさせられました。蛇足ですが、馬上で矢を放つということは腕力と技術が高くないとできなかったことは容易に想像できます。それを考えると、屋島の戦いで源氏方の弓の名手である那須与一が、平家の小舟に掲げられた扇の的を射抜いたことは圧巻ですね。
※いわきの勿来関跡*源義家騎馬像
猪鼻城跡
お城の中に入る前に公園内を歩いて見てみます。
公園の西側にある神明社
ゆっくりと下に降りていきます。
お茶の水
亥鼻公園の歩道沿いに千葉常胤が源頼朝に茶をたてて献じた時に使用したと伝えられる泉の水がありました。
源頼朝と千葉常胤のクローズアップ
千葉城(千葉市立郷土博物館)
お城の入口に千葉常胤の生誕900年ののぼりが立っていました。※常胤は1118年(元永元年)誕生
入館料は無料です。千葉氏に関する資料が詳しく展示されています。
それでは中に入ってみます。
千葉氏
千葉氏は桓武天皇の血を引く関東の名族。
1126年に千葉常重が大椎(現在の緑区大椎町)から現在の中央区亥鼻付近に本拠を移し、千葉を名乗りました。これが千葉の都市としての始まりだそうです。
常重の子の常胤は千葉氏をふたたび繁栄させた中興の祖とされる人物。1180年石橋山の戦いに敗れた源頼朝にいち早く味方に付き、鎌倉幕府の成立に大きく貢献した名将。
・千葉介常胤像
・鎌倉大評定
平家討伐を前に鎌倉で諸将を集めて行った大会議
鎌倉時代には下総の守護として繁栄し、千葉氏一族は全国に勢力を伸ばしていきました。しかしながら、1590年当主千葉重胤の時に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡したことにより、千葉氏宗家もここで滅亡してしまったそうです。
千葉氏の妙見信仰と家紋
妙見を一族の守護に定めた千葉氏は、常に妙見に守られているという意識と、武士として正しい道を進むという意志のもと、家紋に星をかたどった九曜紋や十曜紋、月星紋を用いたということです。
・月と星をかたどった家紋
・妙見信仰
千葉氏の子孫
江戸時代以降に活躍した人物では剣術家の千葉周作、維新の英雄・江藤新平、武士道の新渡戸稲造がいるそうです。
新渡戸稲造が著した「武士道(BUSHIDO The Soul of Japan)」も千葉氏の思想から生まれたものなんでしょうね。
5階展望室からの眺望。空は快晴でいい眺めです!気持ちいい!
公園の後方からのアングルです。
模擬の天守閣でありますが、そびえ立つ城の美の癒しを得ることができます。
小休憩
亥鼻公園内のベンチに座って小休憩です。
■山崎パン「アーモンドカステラ(73円税込み)」
歴史のある懐かしい菓子パンです。
アーモンドの形を模しているふわふわ食感で素朴な菓子パンです。アーモンドの風味が懐かしさを感じます。
■ボンタンアメ
大正13年から引き継がれる歴史あるロングセラーなお菓子。
柔らかくモチモチした食感、ボンタンの甘酸っぱさがほのかな香りでいいです。
箱のデザインが昔風でいい感じです。
小休憩を終えて、ちょっと小高い場所から現在の千葉の風景をバックに千葉常胤の騎馬像を写真に収めます。今にも矢を放ちそうな力強い姿!
千葉神社
千葉神社へ移動
ということで、千葉氏と関係が深い千葉神社を歩いて訪れたいと思います。距離としては900m程度です。
「やまとばし」を渡って...
千葉神社に向かってゆっくり歩いて行きます。
ご当地マンホール
千葉市のマンホールありました。
中央は千葉市のコミュニケーションマーク、市の木のケヤキ、市の鳥のコアジサシ、周囲に 市の花のオオガハスを描いている。
カラーマンホールは町を明るくします。
千葉神社へ到着!
千葉神社に到着です。
千葉神社は、もともと北斗山金剛授寺という寺の妙見宮で北極星や北斗七星を神とみる妙見菩薩を祀っていました。千葉氏はこの妙見菩薩を大切に崇めており、千葉氏宗家の元服は代々この寺で行われた。明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められ、現在に至っているとのこと。
■鳥居と唐獅子
鳥居の横には「獅子の子落とし」のダイナミックな彫刻がありました。
■鳥居の左側にある尊星殿
■その奥にある重層社殿
立派ですね。
参拝
■千葉天神
■末社
境内には14社の末社があります。
ちょっとだけ歴史探訪を終えて
千葉城や千葉神社は、静かで落ち着いた空間が多かったため、好奇心や学びの喜びを感じながら自分のペースでゆっくり時間を過ごすことができました。
■千葉氏について
源頼朝を助けた千葉常胤の存在は、石橋山の戦いで敗れた源頼朝が頼るところもなく力尽き果てていたときに、まさに救世主となりました。もし千葉常胤が現れず、頼朝が孤立無援のままであったならば、日本の歴史は大きく変わっていたでしょうね。千葉常胤の尽力によって変わったこの歴史を思うと、彼の存在は本当に重要であったと言えますね。
■千葉神社について
千葉氏が神社の加護を受けながら戦いや統治を進めていたことを知ったことで、彼らの行動や決断に対する新たな理解が生まれました。神社の存在が千葉氏の歴史においてどれほど重要であったかを考えると、日本の歴史や文化における神社の役割の大きさを改めて感じることができました。
以上、静寂に包まれた空間で千葉氏の栄光に思いを馳せてみた・ちょっとだけ歴史探訪の紹介でした。
たかくら24でした。